解放ワークに対する考え

今日はここのブログに記事をアップしようとしたんだけど、あまりに内容がこれはもしかするとマニアックすぎて理解しづらいだろうなあ、、、と思うようなテーマばかりになってしまい、3本を下書き状態のままにしています^^;


ブログと言う形は、社会性を持っている感じで、発言に気を配るところが多いと感じているんだな、と私なりの解釈を発見。

その反面、BBSは気軽に、それでもそれなりに深いことを書けるコーナーになっているらしい。

この差はなんでしょうね?(笑)

同じようにPC上からタイプしているのにね。

 

 

さて、今日はカウンセリングや自己ワークやセラピーについて、私が感じていること。

ネガティブをポジティブにしすぎるのってどうなんだろうって思う。

感情解放とか、記憶書き換えとか、やりすぎるのってどうなんだろうって思ったりもする。

現実問題がはっきりしていないのに、ネガティブさを感じているから解放、そうすれば楽になる、そうしたら幸せを感じる、喜びを感じる。

それはとても近視眼的な見方なんじゃないだろうか。

解放をいくらやっても同じ不安がある、同じ悲しみがある、同じ感情があると言うのは、

その状態でないと、
新たな物の見方ができないからじゃないか、、、
新たなエネルギーが生まれないからじゃないか、、、
生まれている小さくてパワフルなエネルギーが育たないからじゃないか、、、

エネルギーは同心円状が重なるようになっていて、中心部の強いエネルギーは外側の不安とレッテルを貼っているエネルギーがなければ育たないのではないか、、、

良く思考や感情を解放すると、玉ねぎ構造になっていると言うが、そもそもその玉ねぎ構造こそが、中心部の強いエネルギーの保護代わりになっているのではないか、、、

だとしたら、無意味に玉ねぎの皮をむいてしまって良いとは思えない。

腐っているところが中心部を侵食しているなら、カットしたり、剥いたりは必要だろう。

ネガティブに感じているそのエネルギーは、本来の意味で本当にネガティブなのだろうか。

 

本当に、現実を脅かしているのだろうか。

 

始めて接するものに対して、本人は「怖い」と思って不安を呼び出しているだけかもしれない。

その場合、そのエネルギーを解放してしまったら、その人はいつ新しいエネルギーに出会うことが出来るのだろう。

 

いつ使いこなせることが出来るのだろう。

 

いつパワーが付くのだろう。

 

そのエネルギーを見極めることもなく、過去の出来事に結び付けて解放してしまったら、その人はそのパワーを手に入れるまで、また待たなければならない。

そして、本人は「開放された、楽になった、重みが無くなった」と思っていて、おそらくセラピストも「良かった、良かった」と言っているだろう。

でも、双方にそのエネルギーを知らなければ、それを解放するしか手立てはない。

せっかく育った新たなエネルギーがまたお亡くなりになられたのだ、と言う解釈は無いのだろうか。

おそらく、そういう私の疑問や考えに対して、解放することをひたすら信じている人ならこう言うだろう。

解放に対する怖れやブロックがある。

ホントーはそこを見たらいいのにね。

それを信じているからそうなるんですよ。

そういう不安があるなら、そういう不安を引き起こすでしょう。

とかとか。。。

 

それに対して私はこう見る。

「どうしても閉じた輪の中に理論を持って行きたがる」と(笑)

 

そして、おそらく私としてはこう言いたくなるだろう。

 

解放に対する怖れやブロックがある。

⇒生命維持装置を外そうとしているから、怖れや抵抗があって当たり前。

 

ほんとーはそこを見たらいいのにね。

⇒ほんとーにそこを見るために解放は必ずしも必要はない。

 

それを信じているからそうなるんですよ。

⇒信じていることでなく、疑いによる新たな可能性を探ることと、観察の結果による新しい見地だ。

 

そういう不安があるなら、そういう不安を引き起こすでしょう。

⇒不安が必ずしも不安な結果を引き起こすわけではない。

 

こういう考えになったのは、私なりの経験に基づくことでもあります。

 

私自身、カウンセリングを受けたとき、自分の中にある小さいけれどすごいパワフルなエネルギーに接触したことがある。

ある強い孤独感と不安感をテーマにして、その外側のエネルギーから徐々に下降して、どんどん下降して、中心部まで行ったら、そこにあるのは「ものすごく溢れてくる」と言う強いエネルギー。

 

いや、言葉にするともう少し言いようがあるのだけれども(笑)

 

そして、ここに行きつくためには、「不安」と感じるエネルギーの層を何層か通ってこなければならなかったのだ。

 

そして、私の奥底にあるエネルギー自体はこの不安の層ともちゃんと仲良しなのだ。

 

だとすると、この不安と感じた層を解放することは、とても出来ない。

 

実際に癒しきろうとさえしたことあるけど、号泣状態になり体の震えが止まらなくなり、出来なかった。

 

あぶなかった、、、と今、思う。

 

無知のまま、そのまま解放し続けたら、せっかく貯まったエネルギーを無駄遣いするところだった(汗)、と思った。

 

と、すると、私はしばらく不安の層のエネルギーを抱えている必要がある。

 

自我がそれを不安と認識しなくなるまで、自我にもお付き合いし、言い聞かせをしていく。

 

不安のエネルギーの層を抱えて行く決心をする。

 

はっきり言うと、この不安の層は一生不安だと思って過ごすことにもなるかもしれない。

 

でも、ここに関することを抱え続けよう、そういう決心。

 

 

 

 

それを感じて以来、何となく人が感情解放される瞬間に、大切なエネルギーを放出しているように感じてしまうようになった。

せっかく育ってきたエネルギーが、その人の中から出て行ってしまう、そういう風に見える。

 

そういうエネルギーを食べている生き物でもいるのかしら、、、とも、ちょっとホラーなことも(笑)

 

 

でも、仕方ないときもある。

そのエネルギーを使うには意思が必要。

それを抱えておける器と覚悟や自分に対する責任などを、自分の中に認める決心も必要。

まったく、そういうものが育っていない人は、まずそういものを育てることが必要だ。

 

と言う訳で、根気の要る作業となる。

 

とは言え、解放ワークがイケないことを言っているのではなく、これは陰陽で言ったら陰(女性=月や金星)のワークだろうなあ、と思うこと。

 

そして、陽(男性性=太陽、火星、木星など)のワークと言うのは、意思、決断力、行動力、プラン、実行などと言うことになり、これを得るには、外側からの働きかけと、外側との交流が必要だ、と言うこと。

 

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