そうだ、思い出したことがある。
ハワイ島に行ったときのこと。
とても綺麗な海で泳いでいて、とても開放的になっていたとき、ふと、急に水が冷たくなることがあった。
その瞬間、とても不安になった。
海から嫌われているのか、、、くらいの思いもどこかにある(笑)
ハワイ島から歓迎されていない、、、かも?とか(笑)
なんて言ったって、人が少ないうえに、監視員もいない、誰もちゃんと見ていない領域で、初めての場所で泳いでいる訳で、ちょっとしたことで不安になったりするのだ。
でも、その冷たい水は、湧水だということを後で知った。
綺麗な湧水が、海底から湧き出ているのだ。
つまりはそういうことなのです。(え”?どーゆー?)
何か感情を感じたりすることは、時に未知との遭遇だったりする。
批判的な思考が湧き出てくるなら、その奥に何かがあったりする。
好ましくない感情を感じるときも、そう想定していることとは別の何かがあったりする。
潜在意識の領域とは、単に掘り下げて行っただけで辿りつくことよりも、もっともっと面白いことがある、、、と思う。
掘り下げて行って辿り着いたことでも、結局は現時点では、現時点まで経験してきた認識に基づいてしか認識できないから。
もし、「ハワイ島に嫌われているかも」と私が思考するとして、こういうネガティブな思考を即「見てないブロックがあるから見た方がいい」と言うのも違う。(←いや、この件ではやりませんが、結構やりがちな掘り下げパターンでしょ?笑)
それはあまりに余裕が無い行為。
この不安こそが、「何だろう?」と言う好奇心を生み出してくれる。
だから、誰かに聞いたり、誰かがたまたま話してくれることをキャッチする役目をしてくれる。
こういう時不安に感じると言うことは人間のシステムなのだけど、これを不安でなくて、仮に常にわくわくするだけにしてしまったら、強い好奇心は保てるだろうか。
ああ、冷たい水さん、ありがとう~~、よくわからないけど、冷たいわ、うふふ~、、、(←誰?)
とか
世界をありのまま、これが空、今を生きてる、全ては幻想なのね(←良くわからんが、流行っぽい言葉を並べてみる)
とかで終わり、、かもしれない?いや、そんなことはないかもしれんけどね(笑)
確かに、その場その場を楽しんで、満喫して、後に引きずらず、楽しくて、今を生きる、なのかもしれない。
でも、所詮悟ってない人が、悟ったフリしたところで、なんか変な慰めものみたいだ。
不安を感じろー、おい、目を覚ませー、目を覚ますのは今じゃないかー、とか叫びたくなる(笑)
わくわくとは違うけど、「ハワイ島に嫌われているかも」って思う不安な私を見つけたのだから、それを歓迎し、観察してみることは出来るよ。
「こういうとき嫌われている」って思うんだね^^
どこかで常に何か見守る立ち位置を一応作っておく。
でも、すぐに手を出さないでいい。
だから、
不安だー、何だこれー、冷たいー、なんでーー、霊?、、、
などと様々な感情や思考を観察
また、こう思うかもしれない。
そしたら、また観察してみよう。
このくらいでいいような気がする。
そして、湧水だってわかったとき、一安心。
それは、先人たちが残してくれた知恵。
私はそれに安心したのかもしれない。
あー、そうなんだ、と言う感覚を知る。
不安と感じたものは、今回は一安心して良かったものだった。
そうか、何か不安と感じるときは新しい世界が一つ増えるときかもしれない。
掘り下げず、書き換えもしなくても、解放もしなくても、意識を向ければちゃんと気づくのだ。
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