アニマとアニムスの問題

アニマとアニムスについて、前からいろいろ書きたいことがあるなあと思っていたので、そろそろ書いてみようと思います。

 

アニマとアニムスについて書き始めると、どこまで長文になるのか、、、と言うことで、少し躊躇していた感じで、その集中力が持続できるタイミングと、割と時間があるよって時じゃないと、伝えるのが難しいなあ、と思っていたのが理由です。

 

ホントに、アニマとアニムスとか領域に入ると、ユング心理学では馴染みのある言葉だし、私よりも深く学んで理解している人がたくさんいると思うし、本だっていっぱいあるし、私が伝えるより本読んでと言いたいし、、、でも、やっぱり、占星術や心理学学ぶにあたって、私には欠かせない大切な前提要素であります。

 

心理占星術をやる人も皆様深く研究されていることとおもいます。

 

なので、ホント、このテーマを書くのは、私にとって恐れ多いと言う感じがして、自分なりの言葉を編み出していくのが苦労するテーマでもあります。

 

ここまで前置きを書いておきたくなるテーマですが、でも、まあ、やってみます^^;

 

 

 

アニマ、アニムスと言うのは、ユングが元型と言っているものの一つであります。

 

元型とは、人の夢やドラマなどを観察していった時によく出てくるイメージのようなものです。心の内面を見るときにまる人のような人格を持ったキャラクターが登場してしてきます。その人格化されたものを深く辿って行くと、多くの人の心の中に宿っているような大元となるイメージ像のようなものがあります。

 

それは神話などで語り継がれているようなものであったりします。

 

元型は、人の中の奥底にあり、それは人から人へ遺伝されて受け継がれ、生命や本能に結びついているイメージ像とも言われます。

 

ううむ、ここまでで、言葉にするのにとても苦労しています^^;;;

 

参考文献をあさりながら、大きく外れることの無い様、定型式に書いています。

 

この元型は捉えどころがあるようで、きっちり絶対これ、と言うような捉え方をすると混乱の道へと迷い込んでしまいます。

 

で、元型にはペルソナ、アニマ、アニムス、シャドウ、グレートマザー(オールド・ワイズ・ウーマン)、老賢者(オールド・ワイズ・マン)などがあります。

 

さて、今日の本題、アニマ、アニムスのことに行きましょう。

 

アニマと言うのは内なる女性、アニムスと言うのは内なる男性。

 

どちらも私たちの個人の中にそれぞれ住んでいるのですが、通常自分が使い慣れているのはどちらかであったりします。

 

 

さて、以下からは、私なりの意見や考えをバシバシ織り交ぜて行きます。(書きやすくなる・笑)

 

 

アニマ、アニムスのどちらかが使い慣れていることが多いですが、たまに、どちらも強く否定していると、中性的になっていくこともあります。

 

現代社会は、この中性化が進んでいるかもしれません。

 

女性性を抑圧しているから、自分は男性的だ、と言う女性も結構いらっしゃいますが、かといって男性的な決断力、行動力、判断力、計画能力、論理的解決、社会的に強い顔など打ち出すことなど、あまりしていないような場合あります。逆に、女性的である、お洒落や感情表現、世話好き、母性本能も押さえています。

 

男性でも同様です。男性でありながら、男性性を発揮できず、かといって女性的な外見を気にしてみたりすようなこともなく、感情を分かち合うことも無く、細やかが気遣いと言うような表現も無く、労わりの気持ちなども押さえていて、表現されていないような感じです。

 

まあまあ、中性的な要素は誰にでもあるのですが、とは言え、本来健全に表現されたがっている内なるアニマ、アニムスを押さえたままですと、その次の統合と言うプロセスを避け続けるようなものです。(えーと、時期が来ている人にとって、と思ってください)

 

アニマ、アニムスが統合されていくと、その人の魅力が健全な形で外側に表現されていきますので、上記のような抑圧的な中性的な人とは違うのです。

 

女性であれば素敵な女性へと、男性であれば素敵な男性へと変化を遂げて行きます。

 

ですので、中性化でとどまっている場合、まずはどちらかの性を少しずつ生きる必要があるかもしれません。でも、そうならざる得なかったことに直面することもあり、それはとても感情的な経験を再体験させられる必要も出てくるかもしれず、結構大変でしんどいです。なので、中性的なまま突っ走ると言う人生もあるでしょう。

 

でも、もしどちらかの性を開発していくとなると、本当にどっちもやってこなかった自分を見た時に、様々な感情体験、様々な否定的思考、自己批判、他者批判など起きるかもしれません。時には、解放ワークも必要でしょう。個々の経験をいちいち見たりすることも出来ない時もあります。

私自身は、このタイプに近いかもしれません。

真に自分に抑圧していたもの、そこに自分自身から選択した愛(たとえ他者から見てそれなりでも)を見た時に、初めて自分の責任を引き受けることができたような感じです。

 

プロセスは人によると思いますが、この中性化からは、男性性と女性性を同じくらいずつ開発していき表現していくようなプロセスを辿るような感じが多いようです。

 

 

アニムスは特に女性の心の中で意識されにくい部分です。自分の中の男性的な部分です。

 

女性が自分のアニムスに無自覚な場合、自分の中の強い積極的な部分、暴力的な部分を避けまくることになり、現実的な世界では未分化な男性性を発揮してくる人物が近寄ってきたりします。実際は近寄ってくるのではなく、近づいて行っているのですが、、、。

 

論理性、積極性、決断力などが自分の中で一切無視されているので、そういうものが未分化に表現してくる人物に、アニムスの持つ性質すべての権限を預けてしまいます。

 

そして、受容すること、優しさ、母性などが過剰に発展していると、無意識的なアニムスが暴走しますので、受容や優しさと言う大義名分のもとに相手をコントロールしようとしたり、圧迫感ある息苦しい優しさとなったりします。未分化なアニムスが暴走した形で表現されている状態です。優しさと言う名の暴力や、受容や受入れと言う名のコントロールになってしまいます。

 

もう少し具体的には、自分がやって欲しいことを言葉で伝えるのでなく、感情表現で伝えます。そして、相手がやってくれることが嬉しいと喜びますが、相手が自分の望むように動いてくれなかったりすると、いつまでもブスッとした態度を取り続け、相手がそれが嫌になってやってくれるまで態度を変えず、根負けした相手がしぶしぶ腰を上げてくれるようなことをさせるようなことです。

 

これは、やっていることは、「支配」、なのです。ですが、アニムスが何も訓練されていないので、暴走してしまっているのですね。感情表現による支配、暴力となります。

 

自分の感情を表現してはイケない、と言うのではなく、自分の望みを相手がやってくれなかったとしても、そのことで湧き上がる自分の気持ちに責任が持てるのか持てないのか、と言う問題です。

 

相手が期待通りにやってくれることを「私、あの人を信じているから」と言うセリフで置き換えられたりします。信じているのは相手の人そのものでなく、相手への被せた期待です。そして、相手が期待通り動いてくれることに対して、「信じている」と言っています。

 

占星術的には、女性がサターンリターンを迎えた30才くらいからの太陽を自分で使っていく年齢域になっているときに、金星域の10代20代での考えや行動を持ち出している状態です。

さらに、35歳過ぎたら、火星域(行動力、積極性、主張の力)に入りますが、この火星を放棄しだすと、ものすごく暴走したアニムスの表現となるでしょう。

 

金星域で想定していた「結婚したら幸せ」ルールが、とっくに崩れていて、早く太陽や火星をやりたいのに出来ないと言う無意識的な欲求を抱えた、ストレスを抱えているとも言えます。(本当は最初は自分で押さえたのですが・・・)

 

 この状態は、大抵2度目のサターンリターンを迎えた時に、暴発することが多いようです^^;

サターンリターンは28年ごとに起きますから、計算上は大抵50代から60代だと言うことがわかりますね。この年代の夫婦に不穏な空気が流れている主な理由は、個人のエネルギーを個人のものとして使えなかった屈辱感です。そして、不穏な空気だったのが、サターンリターンで暴発する、と言うことで個人の道を踏み出すことが多いようです。

 

女性は、「私の人生を返して!」「私の生きたい様に生きる!」と言う宣言の元、熟年離婚、家庭内離婚などを起こし、これまで持っていたつつましやかな自己像(実はとっくに無くなっていますが)をかなぐり捨て、自由に生きることを選ぶようになります。

 

大抵、男性はおろおろしますが、男性は自分のアニマを押さえていたので、お互い様となっているかもしれません。

 

さて、ここでアニマが出てくるので、アニマのお話に移ります。

 

アニマと言うのは、自分の中の女性像です。

 

男性の中で意識されにくい部分となるでしょう。

 

男性の中でアニマが押さえつけられると、論理的、効率的のみ重視に物事を進めようとします。自分が主張する、論理性や効率重視の意見が通らないと、ごり押ししようとしますが、その状態を冷静に観察する人がいるならば、まるで女性のヒステリックそのものと指摘するかもしれません。ですが、良く観察しないとわからないので、「あの人は押しが強い」「すごい論理的に説明するから敵わない」とか言われます。実は、本当に頭の良い人が見たら、論理も破たんしていることが多いのですが・・・。

 

自分の感情的なことを自分の内側に認めようとしないので、自分が感情的にこだわっていることを、論理性で主張しようとします。実は、自分の中では感情的なことで引っかかっているのですが、本人はそれに気づいていません。

 

主張している内容は、真の論理性でなく、アー言えばコー言う的な争いになっていて、言葉をもし録音してきちんと分析するならば、同じ言葉を繰り返していたり、さっきとは別のことを言っていたりしながら、強気の怒りの態度で対応しているだけとなっていたりしているでしょう。

これは既に自分と相手の主張を冷静に分析できていないことになります。

こういう両者が戦うと、最終的には感情的なパワーが強い方が勝つことになっています。論理性で話し合いをしていると言う大義名分ではあるけど、見えないところでは感情的に駄々をこねた者が勝っているのです。

 

ちなみに、こういうことがとてもゲーム化している世の中ですが、こういう感情を勝つ為に使うことは、いつか感情によって負けることになりますね。そして、それが早く来た方が、身の為でしょう。そして、感情を勝ち負けの道具にしていることに気付くことが大切で、感情は分かち合うためにあるのだと気づくことで、大きな変化と学びを得ることが出来ると思います。

 

 

さて、アニムスの過度な抑圧タイプの女性と、アニマの過度な抑圧タイプの男性が結婚していることは多く、この二人は人生の終盤に置いて、何かをお互いに見出しながら、自分が相手に与えてしまっていたものを取り戻す儀式が、熟年離婚となるようです。

 

もしかしたら、ここでまったく逆に移行すればうまくいくのかと思いきや、なぜかそういうことにならないことが多いようです。

 

お互いが成長過程で失ってきたものを取り戻すときに、相手が干渉してくることがうまくいかないんでしょうかね。

 

お互いからお互いを学び合うことで、夫婦としてより一生深みが増すとも思いがちですが、やはりタイプにもよりますし、どちらかが欲していたものが独立とかだったりすると、やはり一緒にやっていくことが難しかったりするのかもしれません。

もしかしたら、カウンセラーを通して、心の仕組みとか知っていたら、お互いを尊重できるようになるかもしれませんが、まあ、本当にこれは当人同士の問題なので、当人たちが一番良いと思った道が、一番良いのでしょう。

 

女性にとってアニムスと言うのは自分の中の永遠の憧れの異性であり、男性にとってアニマと言うのは自分の中の永遠の異性であります。

そして、その異性を自分の中で取り込み、統合したもの同士のお付き合いは、また別のものになるようです。

自分自身で欲しているものがちゃんとわかっている状態なので、お互いに自分の性のアニマ、アニムスを相手にそのまま被せて投影させることがないからです。そして、自分のアニマ、アニムスがきちんと自分でわかっているので、もし相手がそれをやってくれたら、すごく嬉しく感じるかもしれません。

 

とは言え、自分のアニマやアニムスが意識的にわかるのが、失恋を通してだったり、結構手痛い思いをした後だったりするので、人と言うのは自分のことを理解するのに一生をかける生き物なのかもしれませんね。

 

自分の中の理想の男性像、自分の中の理想の女性像、、、これはいつか自分が取り込んで行ける性質のようではありますが、その入り口がどんなものになるのかは本当に人それぞれです。

 

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