幸せ、って何だろうなあ。
人によって何が幸せかは違う、と言うこともあるかもしれないけど、
もしかしたらどっかは一緒かもしれないね
日々の日常の中でのことに幸せはあるのかもしれないけど、
だいたい渦中にいるときは、それを幸せだと思ってないし、
でも、何かのふとした、しーんとした瞬間に、あれらこれらがすべて幸せだったな、と。
この視点をずっと保っていたら、もしかしたら、日々の日常のわらわらとしたことに
捉われないかもしれないけど
その渦中に本気になれたり、集中したりすること、問題にどっぷりはまってこそ見える視点、
そこからこそ様々に生み出されること、なりきると言う経験、とかいろいろ
自分の人生のドラマに降りてきて、それを演るということ、参加するということ
本当に大切な気がする。
ああ、全部が幸せだったなあ、ありのままだったなあ、、、と言う視点が、たまにやってくるけど
ここにもそんなにずっと長居する必要が無かったりする
それは、そうしようと思ったり考えた瞬間から、とっても嘘くさくなるからだ
そして、表現が嘘くさくなり、人生も嘘くさくなる気がする
きっとそこに居ようとする動機に
「日常のあれやこれやに捉われない自分でいたい」とか
「人間関係に煩わされない人生を送りたい」とか
そんな感じの思いを、どどど~ん、無意識的にくっ付けてしまい、
そのことに気付かないまま、その静けさに留まろうとするので、
だんだん、「全てがありのままなんです!」と言う強い感じになり、とっても嘘くさくなる。
だから、そういう瞬間の後は、日々の日常の「私」にもどり、「私の人生」を生き、
この地上で分け与えられ、ここでしか発揮できない性質や特質を
使いながら、
日常のあれやこれやに捉われてみて、そこに向き合い、
人間関係に煩わされてみて、そこに向き合い、
あれやこれやをどうしようかと、悩み考えたり、行動したりする
そんなことが健全な気がする。
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