おはなしに重なっているさまざまな歴史の層

1年くらい前の話し。

占いのブースに出ていた頃のことで、そこに占いにいらしたかなり高齢のおばあちゃんのお話です。

たぶん80歳は軽く超えていると思われる。

ふらふらとショッピングモールを歩いていて、占いをしてくれ、と言って椅子に座った。

孫のことを占ってくれと言う。
孫のことがとっても心配だと言う。

話しを聞いてみると、おばあちゃん曰く、

あいつは悪い女に騙されている、なんとかしなきゃなんねえ、
孫が悪い女に騙されてしまう、孫もうち来て愚痴を言う、
だからおれがなんとかしなきゃなんねえんだけど、
孫は携帯電話の番号を教えてくんねえから、
悪い女の電話番号もわからねえ。
さっき、そこんとこの携帯売ってるって言う店行って、
電話番後教えてくれと頼んだが、誰も教えてくんねえ。
携帯のいろんな店言って梯子してるけど教えてくんねえ、、、
だから、どの店行けば携帯の番号教えてくれる店があるか教えてくれ。

と言う依頼。

ホントのところはわからない。認知症も入っているかもしれないと思った。

でも、話をまず聞くことにした。

こういうとき、タロットがあるとやり易いね。絵があるから、会話しやすい。タロットが見せるアドバイスは、とっても現実的なアドバイス。タロットに私がすべきアドバイスも聞く。

(法王か~)

 

 

「見守るのが一番いいみたいですよ。お孫さんもう大人でしっかりしてるから。」

「そうかねえ、やっぱそうかねえ、、、

「見守るって言っても、大変に感じたりします?」

「そうなんだよ~、大変なんだよお~。でも、仕方ないさね。何、行っても聞きゃしないし、電話番号もわかんねえから。

そして電話番号を聞き出せない話を10分くらい続けて帰られた。

・・・

と思ったら、すぐ戻ってきた。

「手相を見てくれ。

普通に手相を観る。手相を見ながら、なんか疲れていそうだなあと思い、そう聞いてみる。

「そうなんだよ、寝られないんだよ。どんなに早く床についても、娘と孫が寝たってわかるまでは、眠れないんだよねえ。」

私には、おばあちゃんは家の人が全員寝るまでの見張り役の仕事やっているように感じに思えたので、

そうですか。それは大変なお仕事で疲れますよねえ。
と答えて、

そうだ!おまじないしてあげる!

とカフェキネシのアロマのセットを取り出す。なんか急にカフェキネシをしたくなったのだ。

人差し指を一生懸命上げるおばあちゃん。

軽く押してみて、なるべく早く調べた。

「あなたのワクワクすることは何ですか?」
と聞いて、

アロマをシュッ、とすると、

「いい香りだねえ」とおばあちゃん。

「なんか、ワクワクすること、楽しいこと。あります?」

「そんなもの年寄りにはありゃしねえよ」

「そっかあ、、、じゃあ、若い頃とか昔、好きだったり、楽しかったことは」

おばあちゃんの顔が、パッと輝いた。

「あるよ!」

「えーなんですか?」

「そりゃあ、若い頃はいっぱい遊んださあ、むふふ。あれさ、男に決まってる」

「ふっふふ、それはいいですねえ。。。じゃあ、その楽しいこと寝るときに思い出してみたりするの、どうですかねー」

「ああ、そうか、そうだねそうだね」

それから、少し黙ってから、話をしだした。

「・・・本当に、私がしたいことは、昔の友達に会いたいさね。戦時中の人で、もう会えなくて、どこに住んでいるか、連絡も取れないんだ。生きてるのか死んでんのかもわかりゃしねえさ。仕方ないけどさ」

「地元に住んでいる方に聞いても、ですか?」

「疎開だったからねえ、、、皆、どこへ行ったのかも分からない」

そう言って、疎開中の話を少ししてくれた。

「そうですかあ、、、じゃあ、夢で会えるように。その楽しい日々を思い出しながら。そしたら、少し眠れるかなあ?」

おばあちゃんはとっても穏やかな表情。

「孫には、こんな話すると、バカにされてたよ。」

そして、おばあちゃんはお礼を言って、帰られていきました。

アロマの香りで、表情がとっても変わりました。

アロマのエネルギーが、おばあちゃんにとって必要なものを引き出してくれたみたい。

こんなとき、自分の力とか才能とか、本当に無いなあ、と思ったりします。

カフェキネシをやるとき、私はアロマの伝道師の一人に過ぎない。

占星術とかカウンセリングとかセラピーとかいっぱい学んだのに、アロマ1本にまったく敵わない。

私のエゴのどっかが、自分の才能を消した結果で、相手を癒した結果になったことで、ちょっとくやしがる(笑)でも、私の別のどっかはもっと喜んでいて、エゴもそこが喜んでいるならしゃーない、と言う感じ(笑)
 
まあ、私のことは置いておいて、

人の歴史からは、本当に何が飛び出してくるかわからないもんです。

戦争を乗り越えた世代の人達。
傷を背負いながら、時代を作りあげてきた人達。
そういう傷を持ったまま、ずーっと人生を生き抜いてきた人達。

さっきのおばあちゃんも、そう。
一寸先、身内がどうなるかわからない。
いきなり家族と離ればなれになるかもしれない。

だから、今でもその心配をずっとしていて家族が寝付くのを感じ取った後でないと眠れない

ずーっとそうやって家族がいなくならないように不眠にまでなって暮らした来たことを、おそらく家族の誰も知らないだろう。

戦争の傷は、本当はまだ癒えていない。
戦争の傷は、精神を通して、私達世代にも別の形で受け継がれている。
世代を通してに同じ宿命を一緒に背負っている。
違う世代で違う形で出ている。

個人の歴史、地域の歴史、国の歴史、世界の歴史から、個人の今を見ると、まったく違うものが見えてくる。

そこにあるのは、うめきであり、叫びであり、訴えであったりもする。
それをただただ、一緒に聞く、一緒に見る、一緒に感じる、一緒に知る、、、

歴史を無かったことにするのでなくて、
乗り越えてきた強さ、たくましさ、培った経験や知恵、それらを見て、学ぶ、、、

私たちはそうやって聞いたりすることでしか、癒されないことがあるのではないかと思ったりする。

だから、人を癒すとき、同時に歴史を少し癒していたりするかもしれないと思う。

だから、人を癒すとき、歴史の中に存在していた人と語り、歴史を学ぶ。

そういう意味では、私たちはまだ聞ききっていない。

そして、ちゃんとした事実を知ったり調べたりって、今思っている以上にとっても大切なこと。

うまく言えないけど、そういう先にしか、自由で豊かな国が、地域が、家族が、個人が存在しなかったりするように思うのです。

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