バリエーションの豊かさと、誤差の許容を持つこと

「ワクワクに従って生きて行く」

「ハートの声を聞いて生きて行く」

「自分の思考が現実を作る」

スピリチュアルなことを学んだりすると、

こういうことをよく聞いたりするようになります。
(いや、聞きかじりのとこもあるので、言葉が違うのもあるかもしれません^^;)

こういうことは本当でもあるのだけど、

こういうことにこだわり過ぎてしまうと、

本質を見失う場合があります。

人は「ワクワクに従って生きて行く」と聞いて、

勝手に自分の中でいろんな結論や設定を出してしまいます。

「そうか、もうそんなに無理しなくていいんだ、

自分にとって楽しいことを受け入れて行こう。」

このくらいだったら、良い効果を生み出すかもしれません。

でも、

「そうか、もうワクワクすること以外やるのを止めよう」

となると、このレベル感がどの程度か気になります。

ちょっとでも「ワクワクしない」ことがあると、

過敏になってしまうようなら、

そもそも、この「ワクワクに従って生きて行く」と言うのが、

その人にとってストレスになっていると言ってよいでしょう。

他者が言う「ワクワク」の感じと、

自分が言う「ワクワク」の感じが

違うかもしれません。

ワクワクと聞くと、一般的にイメージしやすいのが、

心臓辺りが妙に小躍りするような感じ、

って言うことになりやすいのではないでしょうか。

でも、そこのとこのピーク状態を維持することを

目指していると、

心臓が持たなくなります。

喜びすぎるのは心臓に大負担なのです。

小さなさざ波のような安心感とか、

妙に落ち着いた静けさとか、

真面目な顔をしながらも同じ動作をコツコツ繰り返す集中力とか、

そんなことを「ワクワク」と言うことに、

組み入れるバリエーションが必要です。

なので「ワクワクしないこと」を排除していく行為は、

結局は、自分に起こる感情にダメ出しを行い、

吐き捨てていると言う行為になり、

これは自分自身に対して、

そのような行為を認めていると言うことにも

繋がるのですね。

もう少しそのエネルギーを見て行くと、

「おまえなんかあっち行け」

「出てくるな」

「引っ込め」

と言う行為に、いつの間にやら、なっていたりします。

自分に対して自分でやっている訳です。

この延長線上において、この人生に何が起こるのか、

なんとなくわかるように思いますよね。

「ワクワクに従って生きる。(それには、お前なんて必要ない)」、

と言う丸括弧書きの思いが

いつのまにやら出ていることになるのであれば、

本末転倒です。

ワクワクに従って生きるために、

ワクワクしない何かを排除するのは、

「これさえなければ」が

「おまえなんていらない」になり、

無意識化では、おまえ=自分なので、

「自分なんていらない」

と言う思いを生み出したりすることもあります。

ワクワクに従って生きて行ったとしても、

で、何が良いって、どんな教えや学びも、

100%を目指す必要はない

ってこと。

100%ワクワクしていることとか、

100%ハートに従うとか、

100%思考を見つめるとか、

まあ、いろいろの、とかとか。

宇宙はそもそもゆとり幅とか、誤差とか、矛盾とか

そういうものも構成要素のうちなんですね。

だから、

自分の中で受け入れがたい感情や思考は

どうしても出てくるってことを、

前提にした方が人生楽になったりします。

こういうとき、

「そういう思考がそもそもネガティブを生み出すんだよ」

と言う指摘があったりしますが、

それはそうなのかもしれませんが、

そういう指摘自体が、「ネガティブを怖がっている」

とも言えるのかもしれません。

怖れからスタートしたことは、

怖れを生み出すことはあるのですが、

それを怖れているならそれさえ本末転倒。

人生から怖れが無くなることを目指す必要はなく、

何を手にしたいか、経験したいか、と言うことに

フォーカス。

手にしたいこと、経験したいことがわからないのは、

感覚や感情を感じることを見失っていますので、

何を感じることが出来るかと言うことに、

フォーカスしていく方良いでしょう。

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