もっと簡単にならないですか?
こんなことをよくシステムエンジニア時代によく言われていた。
プログラムを作って、システム作りをしていくのは、
これまで面倒だった作業を簡単に楽にしていく仕事だ。
数字を見て、入力して、一覧を作って、計算機をたたいていたことを、
数字をみて、入力して、結果を出す、と言うステップに減らす。
こんな具合に、物事を整理して、簡単にしていく。
簡単にすると言うことは、
複雑な仕組みを理解し、難しいコードを書き、
手順を一般化したあと、パターンを見つけ、
ルーチン化したりしていく。
クライアントさんが好むやり方が1つは限らないので、
幾つか提案も必要で、
一生懸命考えた提案も幾つかはポシャる運命にあり、
そして、通った提案は、今度はあれでもかこれでもか、
といろんな関係者のツッコミを受け、
様々に叩かれる、たたき台と言う代物になる。
そうやって、たくさんの肯定を経て、
物事は簡単になっていく。
何かを簡単にすると言うことは、
その裏でものすごく難しい肯定が働いていると言うこと。
まさに、こんなところでも陰陽の法則だな、と思う。
さて、こういう簡単さと言うのは、
世の中にとっても普及してきたので、
だんだん、簡単を使う者と、簡単を作る者の
格差が広がっているようにも思う。
常に簡単を得る側の人の中には、
自分の中の手間をかける分や、
少し複雑なことに取り組むことに対して、
拒否反応を生み出すようになる。
これが事務的なルーチンワークならシステム開発であるが、
心や体の領域でこの簡単さを目的にし出すと、
自分と言う人間において、
何かを生み出すことが出来ない、
耐久性が無い、
などと言う信念を作っていくことになる。
辛いことを簡単に解放できる。
辛いことをもう我慢しなくて良い。
辛いことをやらなくても幸せになれる。
そうやっていくと、徐々に行き過ぎている感が出てくる。
辛いことをやっていてはスピリチュアルでない、
辛いことをやるのはそういう思考が自分にあるからもっとクリアリングしなければならいない、
私の考えは、こういう状態はちょっとごめんこうむりたい。
辛いことって本当に辛いのか。
簡単と言うことに自分を預けてしまいすぎて、
ちょっとでも辛いがあるだけで、
敏感になっているなら、
退化しているのと一緒だら。(←地元弁・笑)
癒しは海王星の力。
使いすぎるのは、お酒の飲み過ぎと一緒。
お酒を飲みすぎは、後で来る。
癒しのやり過ぎも、後で来る。
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