希望と期待

もうだめだと思ったとき、ふと光が射すことがある。


希望の光。


この希望の光は、


私たちの持つ期待と言う重荷で、


あっという間に潰れてしまうことがある。


期待とは、


ある物ごとに対して「こうなったらいいな」と言うことを目いっぱい想像したものであり、


あらゆる過去の喜びの産物に条件づけられているが、


実態は無い。


だが、それはあたかも実態があるかのごとく重い。


多くの期待をする時、


それが当然そうなるであろうと言う幻想をも抱き、


それ含めて期待となる。


期待をいっぱい詰め込みすぎるとき、


希望の光はあっという間に潰れてしまうだろう。


希望の光の出口が、期待通りでなかったら、


過ぎ去った霞のような過去と、儚い現実として目に映るのみだ。


そして、希望の光が、もし期待通りに見えたとしても、


期待を背負っている限り、それは新鮮なる感動となるであろうか。


その目に映るものは、


過去の産物によって生まれた期待と比べれている扉の向こう側であり、


それそのものを、ありのままに味わうことなど出来ないだろう。


だからこそ、


もし、知らずして、また意識的に、期待を背負っていたのであれば、


扉を開けたときに、大きな悲しみを背負うことにしよう。


悲しみとともに、期待が小さく萎んで、消えてなくなるまで。


そうやって期待が消えたら、やっと素の状態を得ることが出来る。


そしたら、次にやって来た嬉しいことを、ありのままに素直に受け取るだろう。


期待と言う絶対的条件を背負うことをにすることを止めたから、


きっと生きるのも楽になるだろう。