「ヴァンダナ・シヴァのいのちの種を抱きしめて」を観て

先週、こちらの映画を観てきました。


https://www.youtube.com/watch?v=NjO9if9kF6Q

生きること、食べること、育てること、グローバルからローカライゼーション、ゆっくりと進むこと、、、私も大切にしたいと感じる内容が凝縮しています。

私自身、田んぼと関わり、食について調べたり、学んだり、いろんなことする中で、”多様性”と言う言葉を何度も聞いたりするようになり、いまそれがとてもテーマです。

自然農は、多様性を活かす農業です。

多様性は問題を多く含みます。

決まったやり方は無い分、次々と問題が起きます。めんどくさいし、簡単でなかったりします。それらに対応する力、ただ見守る力、それを判断し、決断する余力が必要だったりします。

種を蒔き、芽が出て、収穫すると言うことは同じなのに。その数や大きさがまちまちだから、毎回それらを考えなくてはいけません。気候、風土、前年の様子などなど。

多様性を抱え込むことは、常にすっきりしない部分を抱え込むことを、自らに了承することです。常に未消化であることを、まあ良しと受け入れる器を自らに用意し育てると言うことです。でも、何でもOKにはしなかったりもします。ややこしいし、やっぱりすっきりしません。

多様性は、人と人がバトルすることもあります。その都度、あ~めんどくさいと自然に思います。でも、どうにかしていく力を育てます。多様性は多くの豊かさ、パワー、柔軟さなどを育てますが、めんどくさいことだけは、譲れない要素のように思います(笑)

めんどくさいと言うのは、もう少し言い方を変えると、一つ一つ手間がかかり、時間がかかり、労働が必要だと言うこと。

でも、ふと、多様性と言うのは、問題が目に見える形でどんどん現してくれるのかな、と思いました。

物事を単一にしようとしたり、一つのものにこだわり、それが全てにおける善であると言う態度は、問題が見えない形で潜伏したまま、認識されないまま、進行するような感じがあります。

人が、多様性の中で生きようとするならば、自分は多様性の中のほんの一部として生きるので、相手を尊重することでしか生き残れないように思います。



さて、野菜の種の話しに移しますが、
通常、スーパーなどで普通に手に入る野菜や果物の種は、F1種(第一種交配)と呼ばれるものが主です。オーガニックのお店に行っても、種はF1種と言うことがあります。

このF1種は、1世代しか実を付けず、次世代以降はどんどん劣化していくように”品種改良?”されたものです。

農家の人達は、毎年、種を買う必要があります。農家でなくても、自宅で畑をやっている人でも同じです。実家の父親は畑をやるのですが、毎年種を買っています。

小さい頃に、その事実を知って、釈然としないままに
あれ?おや?なんで?
と思ったことがあります。
でも、あまり突き詰めて考えたことがありませんでした。何か、本気でそのことに向き合うと、とてつもない力に太刀打ちできない気がしたからです。

学校で習った理科の授業では、
植物は花が咲き、実が生り、そこから種が採れる
と習いました。

そして、その種を植えると、
また芽が出て、花が咲き、実が生り、種が採れるのが
自然のサイクルである。

学校の授業でのそのように習います。

でも、現在で口にするほとんどの野菜や果物、また生花などもそうですが、そのようなサイクルの中では生産されていません。

種を採取することが出来ない、、、と言う釈然としない疑問は、数年前に野菜ソムリエ(←結構手広く学んでます^^v)を取ったときにも感じました。

普段想像していたより、多くの野菜や果物と言うのは、単一化していると言うことを、このとき学びました。まだ、その時も、その事実に向き合うのは怖く感じました。

それだけの仕組みに、権力と言うものを感じ、畏怖したのだと思います。知ってはいけないような仕組みを知ってしまったような感覚と、見ないふりをしたい気持ちなどなど。

今は、自分で農に関わり、その問題に触れ、関わり、学べるまでに意識的になれたのかもしれません。そして、知れば知るほど、これまで見えてなかったもっと様々な問題を痛感し、その根深さを認識します。

こういうとき、問題を一気に解決したくなります。簡単にしたくなります。めんどくさいです。こうすれば良い、と言う一つの答えや方法を欲しくなります。

F1種も、最初はそのように役に立つ方法での対策だったのだと思います。ですが、広まりすぎていること、ある特定のみが利益を得るようになってしまったこと、その仕組みにがんじがらめになってしまっていること、などの問題が起きています。

F1種や遺伝子組み換えで、何が問題なのかと言うのは、書き出すとまた長くなるので、ここでは言及することはいたしません。

でも、私的には、F1種や遺伝子組み換えだけになってしまうのは、何か薄ら怖さ、気味悪さを感じます。感覚は感覚ですので、調べたり学んだりすれば、やはり、と思うことがいっぱいあります。これらは、容易に情報として入手出来る筈です。

※ちなみに、F1種は遺伝子組み換えとは違います。遺伝子組み換えは、GMと言います。今後、遺伝子組み換えなどもどんどん増えてくるでしょう。

問題、問題、問題、、、本当にめんどくさいですね。めんどくさいな、と思いながらも、自分の口に入るものです。何かを信じきったり、信頼しきったりすることが出来ない時代になっているので、目を開いていく必要があるように感じます。

ヴァンダナ・シヴァは、グローバライゼーションからローカライゼーションと言いました。

”もっと大きく、もっと早く、もっと拡大して”、と言う考え方は、皆を同じようにしようと言う試みです。これは全体性が強くなるようでいて、結果的に全体性を弱めていきます。
突発性のこと、想定外のことに弱く、何かの時、一気にダメージを受けます。

それは、多様性が排除されていくからです。例えば、気温、湿気、気候、ある特定の害虫が大量発生したなど、、、良くあることです。それらに対する全体性の耐性が薄くなっています。これらに耐性を付ける為に、農薬、化学肥料を増やすと言う対策が、現在行われていることです。

農家はさらにいろいろな経費が掛かり、それらを売る側は儲かる様な仕組みです。でも、問題の根幹はここではなく、それを食べる私達でしょう。

このようなことを学ぶことは、もしかしたら怖いことかもしれません。

無かったことに出来なくなるかもしれません。

一度は知らなければ良かったと思うこともあるでしょう。

ヴァンダナ・シヴァの映画は、そんな心にパワーをくれます。きちんと食の問題に向き合いつつも、未来があることを教えてくれると思います。

真実を知る勇気と、未来に向かう勇気。

一気に解決するのでなく、地道に時間を重ねていくこと。

 

そして、抗うべきことは抗うこと。


知ることから始まり、現状を認め、そこから徹底的に考え、アイデアを出し合うことで、希望が生まれます。既にそれをやっている人はかなり多くいます。

人は失敗もするけど、過去やって来たことを学ぶことで、より良い未来を創ることが出来ます。自らの仕事や活動が、そういうことに参加していることで、生きること自体に参加になります。

田んぼの研修を実践して、私が勝手に思ったことは、日本人の多くは、農業に向いているのではないかと言うこと。おそらく、稼ぐ為でなく、食べる為にやることが、とっても向いている気がします。

自分達で食べるものを作り、ちょっと余ったものを、お裾分けしたりしながら、社会を循環できる気がします。

なので、いま、私は小作人が憧れです。